母親やめたい!子育てに疲れたときは休んでいいし逃げていい

スポンサーリンク

毎日毎日、子どものために一生懸命やっていて、何のためにこんなことをしているのだろうかと思ってしまうときはないでしょうか?

子育てというのは本当に自分の時間や労力をどれだけ費やしても足りないくらい大変なものです。思うようにいかないことばかりなのに、何か問題が起きると責められたり責任を負うのは親…。

しかし、少しでも子どもに何かを望むと子育てに見返りを求めるなと言われてしまう。

どうしたらいいのでしょうか?

Sponsored Link

母親はすべてやって当たり前?

本当、やって当たり前って言われることばかり。

見返りも報いも労いもない。

そもそも見返りって何なのでしょうか?いろんな辞書にはたいてい「相手のしてくれたことに対して何かをすること」「保証・担保・代償として差し出す」といったことが書いてありますね。

そうですね「相手のしてくれたことに対して何かをする」となると、自発的な行為であってこちらから要求するものではないでしょうね。

また「保証・担保・代償として差し出す」これも子育てということにはなんとなくそぐわないでしょう。

子を持って知る親の恩?

ハートの飴

そういうことわざがありますね。自分が子どもを持って初めて、親のしてくれたことのありがたみがわかるといった意味でしょうか。

そうすると、自分が子育て中に自発的に我が子から、本心から感謝してもらったり何かをしてもらおうというのは難しいかもしれません。

だからといって、子どもを通して何か満足感や達成感のようなものを意識的か無意識かにかかわらず得ようとすると、子どもの出来が良くない場合や気が合わないなどといった場合は不可能なことになります。

たとえ子どもの出来がよく、ほめられたり羨ましがられてもそれが親の成果ではないことは自分がよくわかっているでしょう。

そもそも、子どもから何かを得ようと言うこと自体が無理なことなのですね。

いわゆる毒親?

こういったこととは別に、本当に害になる言動をする親というのも存在するようです。

「育ててやったのだから親の老後は面倒を見るべき」という考えを持っていたりする親のことですね。

実際に居ることは知っていますが、そういう親子はたいてい断絶していたり、子どもが非常に苦しんでいるのでこの考え方に問題があることは明らかです。

子どもを生んだのは親の意思ですから、子どもを育ててやったというのは間違っているでしょう。

しかし義務ではあると言えども、義務感ばかりを感じていては見返りが欲しくなってしまうのも無理もないことです。

子育てというものをどう捉えるのか?それにかかってくるのではないでしょうか?

私は子育てを社会参加と考えていればよいのでは…?と思うのですがどうでしょうか。

問題は徒労感

子育てを社会参加と思っていれば、子どもから見返りなどなくても構わなくなりますし、子どもに対してではなく、社会に対しての働きかけですから老後の面倒などを子どもに要求する理屈も通らなくなります。

老後は社会で支え合うものですからね。

しかしそれがうまく機能していないから、子どもに期待してしまう、あるいは子どもがやらざるを得ない状況が生まれて見返りや恩といった話になってしまうのです。

待機児童問題で親が仕事を諦めたり、子育てにかかる費用が莫大で生活するのがやっとだったりと、社会が子育てについて支える機能はあきらかに足りていませんよね。

こうした子育てに関する課題を個人の問題や気持ちの問題にすり替えている限りは、親の徒労感は消えることはありません。

何のためにやっているのかという思いが子どもへの見返りの期待や、子どもを通した満足感を得ようという心の動きになってしまうことも避けられないでしょう。

徒労感は他のことでも同様に感じる

しかし、子育てについてそういった徒労感を感じる場合、自分が子どもを持たないか、子育てにまったく手がかからない場合に自分がどういう人生を送っているか想像してみるとどんな感じでしょうか?

いきいきと仕事をして、全く自由で子育てと違って努力は報われ、因果関係はすべて自分の起こした行動の結果で、これを何のためにやっているのかと思わないでいられるのでしょうか?

おそらくそんなことはないでしょう。

多分ですが、子育てと同じように何らかの徒労感を感じて、自分の人生に疑問を持ってしまうことは誰にでもあるのではないでしょうか?

我が子という他人とは違う特殊な存在が絡むことで、より強くそのことを感じるのではないかな?と思います。

しかし、1つ言えるのは、母親に対する周囲の期待や厳しい目…。これは徒労感に拍車をかけていると感じます。

Sponsored Link

自分の人生のすべてではなく一部である

よく考えてみれば、親である自分というのは、自分の中の一部でしかないはずなのです。

しかし親であること、子育てが自分のほとんど、場合によってすべてであるように思ってしまうのは、命を預かりひとりの人間を育て上げるということをやっている限り無理はないと思います。

子育ては片手間でできるほど簡単でもないし、社会で育てるは言葉ばかりで機能していないし、親は子育てについて全力であることを期待され、不注意や失敗することは許されない空気がありますからね。

子育てをすること、親であることは自分のすべてではない、このことをどれだけ圧力を跳ね返して意識していられるか…。

難しいことですが、ふと何のためにやっているのか…と思ってしまったら子育てに自分のすべてを注ぎ込もうとしていないか?は立ち止まって考えてみたほうがよいと思います。

逃げたっていいと思います。全力でやっていたら壊れてしまいますから。

Sponsored Link
スポンサーリンク