居場所がない・自分には何もない?なぜか虚しく寂しいとき

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居場所がないと感じることはありませんか?どこにいても、誰といてもふと感じる不思議な感覚。これは何なのでしょう。

「私はよく居場所がないな…」と感じます。ママ友とも、仲良くはしていましたし、パート先でも特に嫌われてはいません。親きょうだいもいる、夫もいるし、子どももいるそれなのに感じる居場所のなさの正体って何なのでしょうか?

居場所のなさを感じる時にともなう頼りなげな危うい気持ち。子ども達はこんな気持ちになってほしくはない、そう思ったので少し考えてみました。

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居場所とは

人はもともと小さな群れを作り、助け合って暮らしていました。それは生きるためであり、生きることが最大の目標だった頃のことです。

今は単位が大きくなり、生活のプロセスのすべてにおいて仕組みが出来上がっていて、1人でも何でも出来てしまう(ように感じられる)ので、最低限暮らしていくにはまったく困ることはありません。

車窓を見つめる女性

生きることという最大であり最初の前提をクリアしたら、次には価値ある人として認めてもらいたいという欲求が出て来ます。そのために能力を競い、高値を付けられることを望み、また誰にとって変わられることのない自分であろうとします。

それに失敗したときに、人は無力感を味わい、居場所のなさを感じます。

つまり居場所とは自分を価値のある人、代わりのきかない人であると誰かから認めてもらうことで手に入れる感覚のことだと言えます。

「お前の代わりはいくらでもいる」

よく聞いたり、目にするこの言葉、実際に自分に向けられたらほとんどの人は傷ついてしまうでしょう。

でも一握りの天才でもない限り代わりのきかない人などそうそういません。いえ、もしかしたら一握りの天才ですら、その人がいなくてもいずれ誰かが同じことをするのかもしれません。

「お前の代わりはいくらでもいる」と言われても「ああそうですね、そう言うあなたもね」くらいに思っていればよいわけです。

しかし本来は能力のあるなしにかかわらず、いなくてはいけない人などいないはずなのに、皆がそう感じるわけではなく、とりわけ目に見える評価がないことと居場所のなさが結びつきやすいのはなぜでしょうか。

おそらく、能力、効率、市場価値というわかりやすい社会の評価基準以外にものさしがないからでしょう。そうしてそこからはみ出してしまう人は他の方法ですくわれることもなくこぼれてしまうからです。

オンリーワン思想

こうした無力感、居場所のなさを抱える人のためにオンリーワンという考え方が出て来ました。人はそれぞれ大切で、もともと取り替えのきかないものだ、ということでしょうか。これだけ聞けば当たり前でわざわざ言うことではありませんね。

しかしこれをわざわざ言わなければならないくらい、能力主義に追い詰められているということではないでしょうか。

オンリーワンの使われ方を見ていると、オンリーワンだから選ばれるということや、もしくはだからもともと選ばれているということ、さらに言えば、選ばれなかった人のためにオンリーワンなのだから選ばれなくてもいい、となるかもしれません。

しかし、自分に対して選択があること、そして選ばれることを前提にしているのですから同じことです。

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居場所は能力によらない

能力があろうがなかろうがナンバーワンだろうがナンバー億だろうが、オンリーワンだろうがワンオブゼムだろうが、そこに居るのだから居るのです。

本来居場所の有無は能力の評価と関係のないことです。もっと言えば居場所のあるなしなど考えても仕方ないのです。

人を物差しで測るなら、能力や効率以外にも指標があるべきですし、それ以外を用意できないなら一切の指標などなくすべきです。

何かの偶然でこの世に生まれて、ここそこに既にいるのは否定できない事実なのですから、いまここに私が、あなたがいるそれ以上の何かがありますか?

我が子だってそうですよね。何も出来なくったって居ていいはずです。

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