9歳の壁の定義と意味は?乗り越え方と親子で克服する方法は?

スポンサーリンク

生まれたばかりの赤ちゃん……元気でいてくれさえしたらそれだけでいい。

なんて思っていたのに、子どもを連れて外に出るようになると他の子との差が気になるように……。

比べてはいけない、わかっているのだけれど「あの子はちゃんと出来るのに、どうしてうちの子は出来ないんだろう」とか考えてしまったり「もうオムツはずれてるの?」「あの子はもう2語文を話している」と焦ってしまったりなんてことありますよね。

もちろんある時点までに出来ておいた方が望ましいということ、ある段階ごとに受けておくべき刺激ということなどはあるのでしょうけれど、どうも周りに急かされているような気がするのは私だけでしょうか。

子どもを育てていると、どうも周囲や教育の理論などが気になるものです。

次々に訪れる子育ての節目。入園、就学を何とか通過したら次に迎えると言われているのは子どもの大きな変化があると言われる9歳(10歳)の壁です。

9歳(10歳)というのは本当に壁なのでしょうか。

Sponsored Link

「“つ”がつくうちは膝の上」

私の下の子どもも、今9歳で今年は10歳になります。

ちょっと色々ある子なので小さなときから、わりとお尻を叩いて(急かして)何かをやらせてきたように思います。

これは今でも同じですし、これからもある程度はそうせざるを得ないでしょう。

でも本当は、3歳ごろから幼稚園の頃の写真を見て「あぁ、こんなに可愛かったのに、どうしてもっとゆったりと育ててやらなかったのだろう……」と申し訳ないような気持ちで胸が痛くなります。

周囲に対しても「あれができない、これができないと言わないでなぜもっとゆっくり見守ってくれないのだろう」と悲しくなったことを思い出します。

それでも周囲に迷惑をかけないためには、母親の自分が心を鬼にするしかない、と考えていましたし、今でもそうです。

最近改めて思うのは、よく言われるように、良くも悪くも「我が子であっても別の人間」だということです。

こんなことは皆知っている、特に新しい話でも何でもないのですが、この子より8歳上の上の子どもがどんどん離れていくのを見て、そう強く感じるようになりました。

公園と夕焼け

「“つ”がつくうちは膝の上」という言葉があるそうです。

言い伝えですから正確な意味はわからないのですが、ひとつ、ふたつ……9つ、ここのつまでは膝の上で慈しみ育ててあげましょう、というようなことらしいです。

また、基本的なしつけはつのつく年齢にという含みでもあるようです。

昔の人の智恵でしょうか。

しかしこの後者を拡大解釈して「9歳までにやらないと身に付かない」とか「能力開発は9歳までに」と煽るような話もちらほら目にします。

科学的な話はよくわかりませんから、一定の理由はあるのでしょうけれど、これもお母さんたちを急かしてしまうのではないかなと思います。

何歳までにやらねば手遅れ……そういう考え方をするのであればなるほど9歳、10歳は壁かもしれません。

「壁」は大人が作っている

確かに小学校3,4年生からは勉強も難しくなりますし、小学校でも小さい子扱いもされなくなり、低学年の子たちのお手本となるように行動していくことが要求されるでしょう。

もちろん成長に応じた役割や能力の発揮できる場面を与えることは大切ですが、これが「何かができる、できない」という判定や点数や数字による評価と結びつけるのでは意味がないどころか有害なのです。

しかし、この頃から受験に備えて塾に行き始める子も出てきますので、意図せずともそういった可視化されたランキングの世界に入っていくのもこの年齢になっているのです。

子どもは自分の前に壁があるなんて思っていません。

子育てをしていると1度は名前を聞くシュタイナーなど多くの思想家が言うように、本来は「特別な発達段階だから注意深く見守ってあげましょう」という意味で大人に理解を促すための理論でしょう。

しかしながら、この年齢からちょうど向こう10年、学校の勉強・受験が最大のテーマになる年齢に突入させられていることを考えると、壁は大人が作ったものではないのか?という気がしてくるのです。

そして、9,10歳で始まった勉強テーマは18歳にピークを持ってこなければなりません。

Sponsored Link

9歳で人生が決まるのか

今や人間は70年、80年の寿命を持つ生き物です。

それなのに、社会は9歳でダッシュし始め18歳で上り詰めなければ取り戻せないような仕組みになっています。

9歳で出遅れたらどうなってしまうのでしょうか?

もちろん成長には大きく変化する転換期というものもあるでしょう。しかし純粋に発達段階としての話であれば「ハードル」というならまだわかりますが「壁」というのはおかしいことです。

壁というのはこっちとあっちを隔てるものですから。

成長を上昇ととらえて、階段や斜面が急すぎて壁に見える?それも屁理屈でしょう。

それに、人生を上昇(~下降)モデルで考えることも私は好きではありません。

評価などし得ないひとりひとりの人間を、人生の成功モデルを決めて、能力でも何でも可視化したから、それに沿えない人間は壁の外側に押しやられたのではないでしょうか。

見える化したせいで見えなくなるものは捨ててよいのでしょうか。

壁があると言いたいのは壁の内側にいる(と思っている)人間だけではないのですか?

壁はどうやって乗り越える?壁は本当にあるのでしょうか?

先に山に登った(と思っている)人間が下から登ってくる人間を選んでいるのではないですか?頂上とはたいてい狭いものですから。

でも、年齢に壁なんかないし人生は山なんかじゃないから……。

親に出来るのは焦ったり、手遅れだと思わず信じて支えること。

あるのはひと続きのその人それぞれの歴史だけ。

誰が勝手に区切り、タイムリミットを設けることが出来るのでしょうか?

Sponsored Link
スポンサーリンク