「うちの子運動が苦手で…」「運動神経が悪くて、遺伝かしら?」なんて話よくしませんか?うちの子どもたち、長男次男2人とも運動が苦手なんですよね。
実は母親の私も子どもの頃から苦手なので、私のせいかな?なんて思っています。夫は得意だったみたいなんですけれどね。
運動が苦手だといろいろなことにも自信がなくなって、他のところにも影響しますよね。子どもの運動オンチ、について少し考えてみました。
運動が苦手な子どもの原因
・単純に動きが足りない
うちの次男は小さい頃からちょっと太めでお尻が重くって、幼稚園の先生からも「身体重いね~」なんて言われていました。
私があまり外遊びに連れて行かなかったからだと思っています。今でも、体型こそ背が伸びてマシになりましたが、まだまだ運動は苦手ですね。
長男は体型は細身で小さかったですが、運動はずっと苦手。それもやはり私があまり公園とかに連れて行かなかったからかなと思っています。
長男は中学校で体育2を取ったことがあります…。今でも部活は文化系、体育の授業はあまり好きでは無いようです。
・親が運動が苦手
私も小さい頃から苦手でした。体育の授業が嫌いで、苦痛でしたね。出来ないことが多くて、身体も固くて、飛んだりはねたり、回ったりが怖かったです。
夫の方は体育は好きだったようですが、大人になってからはめっきりスポーツもしなくなって、子どもと身体を動かす遊びをすることもほとんどありませんでした。
遺伝についてはよくわかっていないようですが、親がスポーツを定常的にする習慣があるか、体を動かすことが好きでよく行っているかという環境の影響は少なからずあるのではないかと思っています。
「運動が苦手=身体を動かすことが嫌い」ではない
でも、私も子どもたちも、運動は苦手ですが、身体を動かすことそのものが嫌いだというわけではないのです。
小学校、中学校、高校と体育の授業が苦手でしたが、大学生になって教養科目の体育では、苦手な球技をやりましたが、本当に楽しくて高校のときより上手くなったのではないかという錯覚すら感じたことを覚えています。
もっとも大学の一般教養の授業ですから、体育と言ってもそれほどの技術が必要とされるわけではありません。でもそもそも身体を動かすことが嫌いなら、それすら嫌だったのでは?楽しいなんて思えなかったのでは?と思います。
運動ではなく「体育」が苦手なのでは?
ですから、私は自分の経験では、身体を動かすことつまり運動ではなく「体育」の授業が苦手だったのではないかと思っているのです。
授業ですから、習得すべきスキルや課題がもちろんあって、それに沿ってやっていくのです。その上で出来ないことはたくさんありました。
また、固定したクラスのメンバーと行う体育は、気の合わない人にキツく言われたり運動以外のところで辛いことが多かったのです。
大学での体育は、もっと気楽でしたから、そういった人間関係など目的以外のことで嫌な思いをすることがありませんでした。失敗をしても責められることもなく、先生の評価をつけようとする厳しい目を気にすることもなく、のびのびと身体を動かすことだけを楽しむことができたのです。
萎縮しないで自由に身体を動かすことができたから、結果的に、それまでより上手くなった錯覚がするくらい身体が動いたのだと思っています。
運動が苦手な子に向いているスポーツ
そういったことから、運動が苦手な子どもには、運動そのもの以外のことで萎縮したり気を遣ったりしなくていいスポーツが向いていると思います。
チームプレーなど1人のミスがチームの勝敗を左右するようなスポーツは向いていないといえるでしょう。
うちの長男は水泳を習い事でしていましたがとても楽しかったそうで、いまでも好きな種目です。
水泳はリレーでなければマイペースに泳いでいていられますものね。
中学校の部活は卓球部でしたが、勝ち負けにこだわらず卓球を楽しんでいました。
そう考えると、運動が苦手で、体育の授業が嫌いでも、身体を動かすことそのものが嫌いだったわけでは決して無いのですね。
苦手ではなく苦手意識を克服しよう
身体を動かすことは身体だけでなく心の健康にもとてもよいことです。
体力や身体の機能の維持はもちろん、スポーツやジョギング、ウォーキングのあとには気分がスッキリすることは私達も体験として知っていますよね。
学校の体育の授業が嫌だからといって、身体を動かすことまで億劫になったり、嫌いになったりしてはその後の人生にはとてももったいないことです。
気の合う仲間、あるいは1人でのびのびなら、思うままに身体を動かすことを楽しみ、心身の健康のためにも運動をすることは大切なのです。
嫌な思いをした経験や、辛かった思いは忘れて、ゆったりと身体を動かしていくことが必要です。刷り込まれた苦手意識のせいで人生の質そのものを落とすのは損です。
運動に限ったことではありませんが、苦手を克服するのではなく、苦手意識を克服するのです。